潰瘍性大腸炎術後の回腸のう炎の記録

2005年に潰瘍性大腸炎発症。2007年に大腸全摘術施行。潰瘍性大腸炎術後の患者が2018年回腸嚢炎、排便障害になり、自分への戒めを含めての記録。潰瘍性大腸炎の記録、回腸嚢炎、排便障害の症状・治療、そして経過を日付ごとに記録。自分の備忘録として、そして似た症状の人への参考になるようなブログになればいいなと思っています。それ以外のこともたまには載せたいと思っています。

2018年病歴。潰瘍性大腸炎術後→急性腎不全→回腸嚢炎→縫合不全→骨盤内膿瘍

膿瘍ドレナージ前に今年(2018年)になってからの履歴をまとめました。

 

 

2018年

1月 昨年末から体調は悪く、便も泥々としたものになってきた。便もガスも出しづらいが、うつ伏せになって肛門を広げるとガスはスムーズに出ていた。

そしてガス、便の出ずらさピークになり近所の肛門科を受診。

そこで切れ痔と診断されポステリザン軟膏を処方してもらう。ポステリザン軟膏で一時的に良くなる。

この時聞いたのは潰瘍性大腸炎の大腸全摘後の人で痔になる人は珍しいとのことだった。

今思うと危険ですが、朝食代わりにダイエットプロテインを飲んで午前中に一気に下痢として出す。腸を空っぽにしてました。

おかげで楽になってた部分もありますが。

 

2月 ポステリザン軟膏を使うと一時的には良くなるけど、それ以外の時は相変わらず体調悪く、便もガスも出しづらい状況。

この頃から食べ物はヨーグルトや豆腐、プリンなど柔らかいものに移行していた。

 

3月 仕事の忙しさのピークが終わった次の週、低血圧で何度も倒れ、さらに高熱になり肛門科を受診。

その後自己判断で総合病院に受診。

採血の結果、腎不全を起こしていることが判明。即入院。腎臓を見るためにCT検査して腹腔内に膿瘍ありそうと最初に放射線科からの指摘。この入院時に便とガスの出しづらさはピークになった。それまでは辛うじて出ていたけど、トイレでは出なくなった。出る体勢は横向き。初めて尿取りパッドをしようして排便。これで一旦楽になる。

そして、尿取りパッドに出すことで気付いたことが、血と粘膜があること。まるで潰瘍性大腸炎のように。

総合病院では大腸全摘をすることはなく、どういう治療をしていいのか分からないから一番いいのは手術した専門病院で治療することではないか、また実家もあるので看病もしやすいだろうと。そこで転院し回腸嚢炎と診断され治療を始める。治療薬はフラジールとレクタブル。

この治療を開始するまで、最初の総合病院に入院して2週間、本当にキツかったです。

腎不全もあったので仕方がないのですが点滴のみで過ごしてました。

ちなみに腎不全の原因は食事を摂取してないことによる脱水からの急性腎前性腎不全。

回腸嚢炎に対してはレクタブルの効果が抜群で1日目には症状が軽くなった。

その後もぐんぐん体調は良くなっていった。

ただ内視鏡検査でも膿瘍が出来るような穿孔はなかったし、膿瘍は否定され続けていた。

体調が落ち着いて造影CTで腸から「道」があり、漏れていることが分かる。ただ、それまでの経過で膿瘍は小さくなっていたし「道」も短くなっていた。退院して外来で経過CT撮ればいいんじゃないかということで退院。

この時の気掛かりとしては便とガスの出しづらさは変わっていなかったこと。肛門の筋肉含め検査をしたけどその原因は不明とのこと。

 

4月 職場復帰。便とガスの出しづらさは変わらずキツかったので有給使いながら休み休み。

5月 本格的にキツくなり医師に診断書を書いてもらい午後休でやっていく。便とガスは変わらず。横になると出しやすいので浴室で便を大量に出す。このころは大建中湯処方されたり便とガスの出しやすさ改善に努めていた。

 

6月 中旬に退院後初めての内視鏡を受け回腸嚢炎再発(軽症)の診断。フラジールも再開。

発熱。38℃が3日続いたため体力のあるうちに地元に帰る決断。専門病院も受診して、造影CTの結果、前回と同じように膿瘍があり入院。MITドレーンを入れて腸の減圧をはかる。

おそらく、穴が空いていたと思われる箇所、ちょうど接合部下が炎症を起こしていて痛いから、そのせいで大腸も出しずらかったのでは?と主治医以外の医師から言われる。

そう言われると、最初からそうだったのかも。便とガスの出しづらさはずっと変わらず半年続いているので。

肛門周囲に皮膚炎を起こしながらも1週間後にドレーンを外す。

MRI検査で穿孔が複数あることが判明。

一番上の穿孔は回腸嚢の上。

この時点で根治治療としては人工肛門しかないと言われ、本格的に人工肛門を勧められるも拒否。

人工肛門の代わりに膿瘍ドレナージを試してみることに。(←いまここ)